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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2512号 判決

原告 中野トク

被告 昭和信用金庫

主文

被告は原告に対し、金二三一、二五五円及びそのうち金一〇二、五五〇円に対する昭和三一年一二月一三日から、金七二、〇二〇円に対する同三二年一月一三日から、金五六、六八五円に対する同三二年八月七日から、各完済まで年六分の割合による金員の支払をしなさい。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一原告の申立及び主張

原告訴訟代理人は、主文第一、第二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  原告は、被告に対し次の預金債権がある。

(一)  昭和三一年六月一二日特別定期預金契約、金額一〇〇、〇〇〇円(同日預入)、支払期日昭和三一年一二月一二日、利率年五分一厘、利息合計二、五五〇円、元利合計一〇二、五五〇円

(二)  昭和三一年六月一二日定期積金契約、支払期日昭和三四年六月一二日、毎月積金二六、二〇〇円、利率年六分、原告は昭和三一年六月から同三二年一月まで毎月一二日二六、二〇〇円ずつ合計二〇九、六〇〇円を積み立て、同三二年八月六日合意解約し、利息は四、六七三円となり、元利合計二一四、二七三円となる。

(三)  昭和三一年七月一二日割増金付曙定期預金契約、金額七〇、〇〇〇円(同日預入)支払期日昭和三二年一月一二日、利率年三分六厘、利息合計一、二六〇円割増金六七〇円、元利及び割増金総計七二、〇二〇円

二  以上三口のうち前項(二)の定期積金二一四、二七三円につき昭和三二年八月六日頃一五七、五八八円の内入弁済があり、残額五六、六八五円となつた。

三  そこで、前記預金及び積金の残額合計二三一、二五五円と各預金及び積金残額に対する支払期日後(積金については解約後)の商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求めると述べ、

四  被告の抗弁事実に対する答弁として、抗弁一の事実中、被告主張の日にその主張のような相殺の意思表示が原告に到達したことは認めるが、被告主張の自働債権の存在は否認する。被告主張の約束手形は、石原七五三五郎、飯田友三郎が被告金庫の京橋支店長であつた豊田隆彰と共謀して偽造したものである、抗弁二の事実中、被告主張の各印影の同一であること及び被告主張のような免責約款の存在は認めるが、その余は否認する。抗弁三の事実中、原告が被告から一五七、五八八円を受領したことは認めるが、その余は否認すると述べ

五  再抗弁として、

(一)  被告は原告名義の手形の振出交付をうけるについて悪意又は重大な過失があつたから免責されない。すなわち、被告がその主張の約束手形を石原七五三五郎、飯田友三郎らから原告の代理人名義で振り出させ本件預金債権を担保にとつた際、被告金庫の京橋支店長豊田隆彰は、右石原、飯田らが原告の印章を盗用して右手形を振り出し、預金を担保に供するものであることを知つていたものである。かりにそうでないとしても、原告は、その主張に徴し明らかなように利殖を計るため比較的利率の高い定期預金及び定期積立契約を短時日の間に続けて契約しているところ、その最後の定期預金契約の日から五日後に被告主張の約束手形が振り出され、原告のした預金か担保に供されているが、かように、一方において利殖めあての預金をしておきながら、その直後特段の事情がないのに右預金を担保に供して同一の預金先から金融を受けるというようなことは、通常ありうべきことではなく、殊に、右預金担保により金融を受けるための一連の手続が預金者以外のものによつて行われている本件においては、法定の金融機関たる被告は、右一連の手続を原告のために代行すると自称して被告金庫に来店したものが真実原告を代理しうる権限を有するかどうかを確認すべき当然の義務あるものというべく、右確認の方法を取らないで軽卒に行為した被告の所為は重大な過失あるものといわなければならず、かように故意又は重過失のある被告は免責されるべきではない。

(二)  かりに、原告が第三者による預金担保及びこれと関連する手形振出を追認したとすれば、右は被告が原告の無思慮窮迫に乗じて追認させたものであり、公序良俗に反し無効である。すなわち、原告は仲居としての働きにより漸く貯えた預金を知らない間に失いかけた際であり、しかも生活にゆとりがなかつたので、一銭でも多く一刻でも早く預金を引き出したいと焦慮していたのに対し、被告はその職員の不正行為加担により本件約束手形が振り出されるに至つた事情を知りながら、その損失を原告に転稼しようとして相殺を強く主張し、前記窮状にあつた原告から追認を得たものであり、かような追認は公序良俗に反し無効であるといわなければならない。

と述べた。

第二被告の申立及び主張

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告の主張事実中一の事実は認める。二の事実のうち、被告が原告に対して一五七、五八八円を支払つたことは認めるが、右支払の日は昭和三二年九月二日であり、かつ、内入弁済として支払つたのではなく、被告が原告に支払うべき預金残額全部を支払つたものである。三の事実は争う、と述べ

抗弁として

一  被告は、昭和三二年八月六日原告主張の各預金につき、原告に対する次の債権合計二三一、二五五円をもつて対当額により相殺する旨意思表示をした。(残額一五七、五八八円は前記のとおり同年九月二日弁済した。)

(一)  約束手形金債権、振出人原告、受取人被告、金額二二〇、〇〇〇円、満期昭和三一年八月一五日、支払地東京都中央区、支払場所昭和信用金庫京橋支店、振出地東京都台東区、振出日昭和三一年七月一七日、

(二)  右(一)の手形の日歩二銭八厘の割合による期限後の約定損害金合計一一、二五五円、その内訳

(い)  手形金二二〇、〇〇〇円に対する昭和三一年八月一六日から同年一二月一二日までの分七、三三〇円

(ろ)  手形残金一二〇、〇〇〇円に対する昭和三一年一二月一三日から同三二年一月一二日までの分一、〇四一円

(は)  手形残金五〇、〇〇〇円に対する昭和三二年一月一三日から同年八月六日までの分二、八八四円

二  仮に右約束手形が真実原告の振り出したものではないとしても、右手形振出の基礎となつた原被告間の取引約定書(乙第一号証)、預金担保差入証(乙第五号証の一ないし三)の各印影は、本件各預金につき届出られた原告の印影(乙第四号証の一ないし三)と同一のものであり、被告の預金規約には預金の届出に使用されている印影と照合して相違ないと認めて取扱つた以上は印章の盗用、偽造その他どの様な事故があつても被告金庫は一切その責めを負わない」旨の定めがあり、原告もこの規約を了承して預金契約を結んだものであり、被告は前記のように印影を照合して原告が真実に本件各預金を担保に差入れ金額二二〇、〇〇〇円の約束手形を振り出したものと信じていたものであるから、前記相殺は有効である。

三  仮りに前記約束手形の振出行為が無権代理行為であつたとしても、原告は昭和三二年九月二日、被告のした相殺処理を承諾して被告から相殺残金として一五七、五八八円を受領したものであり、この際、原告は前記約束手形の無権代理による振出行為を追認したものであるから、結局、原告は被告に対し有効な約束手形債権を有しているものであり、これを預金返還請求権と相殺したことも、また有効といわなければならないと述べ、

四  再抗弁事実に対する答弁として、原告主張事実はいずれも否認する。原告は、田口税理士とともに昭和三二年九月二日被告金庫を訪れ被告金庫職員と協議した結果被告金庫職員の説明を納得したうえ相殺残代金として受領したものであるから公序良俗に反することはないと述べた。

第三証拠関係

原告訴訟代理人は、甲第一ないし第四号証、第五号証の一、二を提出し、甲第四号証は原告が知らないうちに石原七五三五郎らが作成したものであると附陳し、証人川崎清光、金子辰雄及び豊田隆彰の各証言ならびに原告本人尋問の結果を授用し、乙第一号証、第五号証の一ないし三の各成立は否認する、ただし、右各書証に顕出された印影は原告の印章によるものであるが、右は石原七五三五郎、飯田友三郎、豊田隆彰が共謀して原告の意思によらないで右印影を顕出したものである。第三号証のうち、「借入金相殺残金として」とある部分の成立は否認するが、同号証のその余の部分の成立は認める、第六、第七号証の各二の記載中、受領書部分の成立は否認する(ただし、印影は原告の印章によるものであるが、乙第一号証の印影と同一の事情のもとに顕出されたものと思われる。)が、その余の部分の成立は認める。第八号証の表面部分の成立は知らないが、その裏面部分の成立は認める、その余の乙号各証の成立はいずれも認めると述べた。

被告訴訟代理人は、乙第一ないし第三号証第四、第五号証の各一ないし三、第六、第七号証の各一、二第八及び第九号証を提出し、証人岡村毅の証言を援用し、甲第四号証の原本の存在は認めるが右は原告の意思に基いて作成されたものである、その余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

一  (預金債権の存在について)

原告が請求の原因一の(一)ないし(三)において主張する各預金債権の存在することは当事者に争がない。

二  (相殺の自働債権となる手形債権の効力について)

被告は相殺を主張し、その主張のような相殺の意思表示が被告主張の日に原告に到達したことは当事者間に争がないが、原告は自働債権の存在を争うので考察するに、成立に争のない甲第一ないし第三各証及び第五号証の一、二、乙第六、第七号証の各一、証人金子辰雄の証言により同人が原告名義を冒用して作成したと認められる乙第一号証、甲第四号証、裏面部分の成立は当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によりその表面部分は被告金庫の職員が作成したと認められる乙第八号証、証人川崎清光、金子辰雄、豊田隆彰及び岡村毅の各証言(ただし、証人金子辰雄、豊田隆彰の各証言中後記措信しない部分を除く。)ならびに原告本人尋問及び鑑定の各結果を総合すると、

(1)  原告は昭和二八年一〇月頃から東京都台東区仲御徒町にある割烹料理店「丸文」に仲居として勤めていたところ、「丸文」の客筋の飯田友三郎が、当時被告金庫の京橋支店長であつた豊田隆彰と、その頃不二建設株式会社(飯田友三郎は同会社の取締役であつた。)の代表取締役であつた石原勢五郎こと石原七五三五郎とともに「丸文」へ飲食のため幾度か訪れるようになり、右飯田ら三名の客席に原告が接待に出ていた折、豊田は、原告に対し、手持金があるなら銀行へ預金するより被告金庫へ預けた方が利子が高いから被告金庫へ預金しなさいと勤めたので、原告は昭和三一年六、七月頃被告金庫と預金契約を結び、現金を払い込んだこと(右預金契約締結及び現金払込の点は当事者間に争がない。)、右のようないきさつもあり、原告は、みずからは読み書きの力も充分でなく他に頼る人とてなかつたので、石原及び豊田に信頼を寄せ、右預金契約及び契約に基く払込は、多く支店長豊田に直接その手続を煩わしていたこと、

(2)  昭和三一年一二月に至り、原告は同年六月に預け入れた定期預金が満期となつたからその支払をするよう豊田に求めたところ一カ月据置だから明年一月支払うからとの答を受けたことがあり同年七月に預け入れた曙定期預金も昭和三二年一月一二日で満期到来したので、原告はその頃右二口の定期預金の支払を求めたところ、豊田支店長は「少し待つてくれ、払うときには電話するから。」とあいまいな返答をしただけで右支払をしなかつたので原告はかようなことでは定期積金も続けるわけにはいかないと考えて同年二月以降の積立を中止したこと、同年二月頃原告はどうしても預金を払戻して貰うといつて被告金庫京橋支店において二、三時間衝を続けたところ、豊田は同支店内の金庫から約束手形一通(甲第四号証)を取り出してきて、この通り手形が入つているから預金は払えないといつて、原告に右手形を示したが、原告は右約束手形を振り出したおぼえはなかつたこと、

(3)  これより先、昭和三一年七月一七日頃原告は石原七五三五郎から安い地所を世話するから現地を見に行こうと誘われたので、石原と同行して現地を見たうえ、右土地買受の内金として二〇〇、〇〇〇円の小切手を石原に手渡し、その受領書を貰うため石原の事務所へ立ち寄つたところ石原から「今日豊田に会う約束になつているが豊田は自分に原告のところへ行つたら定期預金の証書をもつてくるよう云われたから証書を渡してくれ、金子辰雄が被告金庫へ使いに行くところだからつけてやるから」と云われたので、原告は不二建設株式会社の社員金子辰雄とともに「丸文」へ赴き同所で金子から請求されるままに定期預金証書二通と原告の印章を同人に交付したこと、石原が原告に売却をあつ旋した土地は、その後昭和三一年一〇月頃になつて、石原の言と異なり全く売却の対象とならない土地であることが判明したこと、

(4)  当時不二建設株式会社は、石原七五三五郎が代表取締役であり、実衝する職員としては、石原のほか、金子辰雄と、石原の娘の三名のみであり、取引金融機関としては、被告金庫が唯一のものであり、同会社所有の東京都北区上十条所在の新築家屋一棟は、被告金庫に対して負担する債務を担保するため根抵当に入れられていたこと、金子辰雄は、不二建設株式会社の代表取締役石原の指示により、原告から定期預金証書と印章を預つたうえ、被告金庫京橋支店に赴いて豊田支店長と面接し、同人と石原との間に予めなされていた話し合いに基いて金額二二〇、〇〇〇円原告振出、受取人被告の約束手形一通(甲第四号証)に原告名義を冒用して記名押印し、同様に原告名義の取引約定書(乙第一号証)に押印し、被告金庫所定の担保差入証の差入人欄に原告の印章を押した(右押印はいずれも原告の印章を冒用した。)こと、右原告の定期預金等を担保とする手形貸付の手続をするに当り、豊田支店長は、金子から原告の委任状を徴するとか、原告に対して代理人選任の意思を確認するとかの手段はとらなかつたこと、

以上のように認めることができる。証人金子辰雄、豊田隆彰の各証言中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を覆し、被告主張の約束手形が原告の意思に基いて振り出された事実を認めるに充分な証拠はない。

そうすると、被告が相殺に供すると主張する自働債権たる手形債権の存在は認められないから、相殺の主張は理由がないものといわなければならない。

三  (被告は免責約款により相殺の有効性を主張できるか)

原告名義で被告に対して差し入れられた取引約定書(乙第一号証)及び担保差入証(乙第五号証の一ないし三)に顕出されている各印影は、原告みずからが本件各預金契約に際し預金申込書に顕出して届け出ている各印影(乙第四号証の一ないし三)と同一であること、ならびに被告主張のような免責約款が、原被告間の預金契約の一内容とされていることは当事者間に争がない。しかして、証人豊田隆彰の証言ならびに弁論の全趣旨に徴すると、被告金庫は、原告が預金契約に際し届け出ていた印章と、原告の代理人であると自称する金子辰雄が、持参した印章との照合を済まして、その同一なことを確かめたうえ、被告が本訴において相殺に供すると主張する約束手形を金子辰雄をして原告名義で振り出させ、かつ原告の預金を担保にとつたうえ二二〇、〇〇〇円を原告の代理人と称する金子辰雄を介し原告に貸し出す手続をとつたが右金員は原告には渡らないで石原七五三五郎が入手して費消したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、原告は約款所定の印鑑照合のうえその同一性を認めて預金担保、手形貸付の手続を進めたものであるから、右各手続を原告名義で行つた行為者が原告を代理しうる権限を有しないとしても、被告は約款の定めるところにより免責されるものと解すべき余地がないわけではない。

しかし、原告は、被告がその主張の約束手形の振出を受けるに際し故意又は重過失があつたから免責されないと主張するので考察するに、およそ、現今の金融機関においては顧客との取引に際し、定型的な約款により契約することが一般であり、その約款中には本件におけると同様に免責条項が含まれるのを通常とするところであるが、さような免責条項においては、金融機関側において尽すべき注意義務の内容はあえて規定しない場合がむしろ多数見受けられるけれども、規定の存否にかかわらず、金融機関としては、業務上合理的に要求される程度の注意義務は当然尽さなければならぬものであり、この道理は本件免責約款の解釈に当つても当然推究されるべきものである。

そこで、本件について考究するに、被告金庫が、金子辰雄から振出人原告の約束手形の交付を受けるに当り金子辰雄又はその使用主である石原七五三五郎が原告のため原告名義で約束手形を振り出しうる権限のないことを知つていたと認めるに充分な証拠はない。

しかしながら、当事者間に争のない事実と前顕各証拠(理由二において当裁判所が採用した各証拠)によると、被告金庫の京橋支店長豊田隆彰は、料理屋に仲居に出て働く婦人である原告に対して被告金庫に預金すれば他へ預金するより利子が高いから預金するように勧奨し、この勧めに従つて原告が利殖を計るため昭和三一年六、七月に一〇〇、〇〇〇円及び七〇〇、〇〇〇円をそれぞれ六か月満期の定期預金に預け入れ、他に同年六月一二日から三年間毎月一二日までに二六、二〇〇円宛積み立てて一、〇〇〇、〇〇〇円積立を目標とする定期積金契約を結び、これを継続している(以上の各預金契約を結び、定期積金を昭和三二年一月分まで積み立てたことは当事者間に争がない。)ことを知りながら、前記七〇、〇〇〇円の定期預金契約締結の直後である昭和三一年七月一七日に原告とは身分上も職業上も全く関係がない金子辰雄が、原告の定期預金証書と印章を持参し、原告の代理人であると自称して貸出をうける手続にきた場合、被告金庫の職員たるものははたして金子が原告を代理して、貸出をうける諸手続を行う権限があるかどうかを探究すべき当然の職責があるのにこれを怠り、ただちに金子の申出を真実であると軽信し、原告の委任状を徴するとか、原告に電話して代理権授与事実の存否を確かめるとか容易に実行できる確認手続をとらないまま、右金子をして取引約束書(乙第一号証)に原告の記名を代行させ原告の印章を押させ金額二二〇、〇〇〇円の約束手形(甲第四号証)に振出人として原告名を記入させ原告の印章を押させ、被告金庫所定の担保差入証に原告の印章を押させたうえ、同日までに原告が被告金庫に預け入れた全預金額にほぼ匹敵する二二〇、〇〇〇円を原告の右全預金を担保にとつたうえ手形貸付の方法により貸与した事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実により考えると、被告金庫の豊田支店長は、公共性を有する金融機関として貯蓄増強とともに信用の維持と預金者の保護を計る目的のもとに設立された信用金庫(信用金庫法第一条)の職員として、業務上尽すべき合理的な注意義務を怠つたうえ前記預金担保による手形貸付の諸手続を遂行したと断ずるのほかなく、かように事務担当職員の右過失行為により原告振出名義の約束手形を取得するに至つた被告は、免責条項の存在にもかかわらず、原告に対し被告主張の約束手形金債権の存在を主張しえないものといわなければならない。よつて被告の相殺の主張はこの点から見ても理由がない。

四  (原告が手形振出を追認したかどうかについて)

被告は手形振出が無権代理であるとしても原告はこれを追認したと主張するので考察するに、前記乙第八号証、鑑定ならびに原告本人尋問の各結果を総合すると、原告は昭和三一年九月頃から本件各預金の支払を被告に求めていたが、昭和三二年八月六日被告から原告の預金債権中二三一、二五五円を相殺する旨の意思表示に接し(原告が相殺の意思表示を受けたことは当事者間に争がない。)たが、原告はもとより被告の相殺の処置には承服し難く預金額全部の請求を続ける意思であつたが、とりあえず、被告主張の相殺残金だけでもよいから支払を受けたいと請求したところ、被告は担保預り証(上記預り証には原告の定期預金証書二通を担保として預る旨の記載がある。)と引きかえでなければ残金すら支払えないというので、当惑した原告は、担保預り証を引き渡してしまえば後日の証拠がなくなることをおそれ、近隣の知人と相談の上司法書士に依頼して担保預り証の写を取つたうえ、被告金庫へ担保預り証を持参して昭和三二年九月二日一五七、五八八円を受領したこと(右金員受預の点は当事者間に争がない。)を認めることができる。もつとも乙第三号証には「借入金相殺残金として」との記載部分があるが、右部分が原告の意思に基き記入されたことを認めうる証拠がないから同号証の記載は右認定の妨げとならず、他に右認定を覆し被告主張の追認の事実を認めるに足る証拠はない。

したがつて、原告が手形振出を追認したことを前提とする被告の主張は採用し難い。

五  (定期積金の残金について)

前認定事実に弁論の全趣旨を総合すると、被告がした右一五七、五八八円の弁済は、原告が担保預り証に記載された二口の定期預金の払戻請求を保留して定期積金元金の請求をしたのに対してされたものと認められるから、原告は定期積金契約解約の日までに被告に対して取得じていた元利金二一四、二七三円から右一五七、五八八円を除いた残金五六、六八五円の請求権を、現に被告に対し有するものである。

六  (むすび)

以上説示のとおり、原告は被告に対し預金債権三口の元利金合計二三一、二五五円及びそのうち請求原因一の(一)の預金元利金一〇二、五五〇円に対しては満期の翌日である昭和三一年一二月一三日から支払ずみまで、請求原因一の(二)の定期積金元利金残高五六、六八五円に対しては解約の日の翌日である昭和三二年八月七日から支払ずみまで、請求原因一の(三)の預金元利及び割増金合計七二、〇二〇円に対しては満期の翌日である昭和三二年一月一三日から支払ずみまでそれぞれ商事法定利率による年六分の割合の損害金の支払を求めることができるといわなければならない。

よつて、原告の請求は正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条に則り、仮執行の宣言はこれを付する必要がないのでその申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳沢千昭)

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